両親の影響で幼少の頃から美術館を巡り、多くの芸術作品にふれながら育ちました。まだ美術館の少ない時代でしたが、東京では百貨店での展覧会が頻繁に開催されており、高校生になると一人でふらりと見に行くこともありましたね。自然な流れで大学も芸術学科に進み、西洋美術を専攻。大学と大学院を合わせ6年間、芸術の世界を学ぶ日々を過ごしました。
大学院卒業後、携わったのが「小杉放菴記念日光美術館」の立ち上げです。準備室に入り、美術館の開館に向けてあらゆることに取り組みました。学芸員の人数も少なく、自分も初めてのことばかりで本当に大変でしたね。その業務の一環として、研修に行った東京国立近代美術館で出会ったのが、当時係長だった松本さん(現長野県立美術館館長)だったんです。実経験の少ない自分に、多くの知識や実務をご指導くださり、学芸員としての一歩を踏み出すことができました。
日光美術館は1997年にオープンを迎え、その後、学芸員として約20年にわたり美術館の運営に関わってきました。充実した日々を過ごしていましたが、松本館長から「長野で美術館を新たに開館させるので、一緒にやってみないか」と声を掛けていただいて。このご縁を大切にしたいと思い、2017年の4月から、長野でお世話になることにしたんです。両親の影響で幼少の頃から美術館を巡り、多くの芸術作品にふれながら育ちました。まだ美術館の少ない時代でしたが、東京では百貨店での展覧会が頻繁に開催されており、高校生になると一人でふらりと見に行くこともありましたね。自然な流れで大学も芸術学科に進み、西洋美術を専攻。大学と大学院を合わせ6年間、芸術の世界を学ぶ日々を過ごしました。
大学院卒業後、携わったのが「小杉放菴記念日光美術館」の立ち上げです。準備室に入り、美術館の開館に向けてあらゆることに取り組みました。学芸員の人数も少なく、自分も初めてのことばかりで本当に大変でしたね。その業務の一環として、研修に行った東京国立近代美術館で出会ったのが、当時係長だった松本さん(現長野県立美術館館長)だったんです。実経験の少ない自分に、多くの知識や実務をご指導くださり、学芸員としての一歩を踏み出すことができました。
日光美術館は1997年にオープンを迎え、その後、学芸員として約20年にわたり美術館の運営に関わってきました。充実した日々を過ごしていましたが、松本館長から「長野で美術館を新たに開館させるので、一緒にやってみないか」と声を掛けていただいて。このご縁を大切にしたいと思い、2017年の4月から、長野でお世話になることにしたんです。