人情味あふれる門前で育ち
大将とともに歩んで。
小さい頃から善光寺を遊び場にして育ちました。小学校の頃は仲見世を通って帰ると、お土産屋のおじさんが余ったおまんじゅうをくれたりと、昔から人に優しく人情味があって、門前は大好きな町です。今、こうして門前で自分たちの店を持てるのも、善光寺さんのお引き合わせでしょうか。自分の愛する地元でお客様をおもてなしすることができ、本当に幸せです。
私の父も料理人で、小さい頃から父の背中を見てきました。高校生の頃に父の働く店でバイトをしていた時に出会ったのが、今の大将です。大将は叩き上げの人で、料理学校には通わず下積みから料理人を目指した人。料理に対する真摯な姿にほだされてしまったんでしょうか。お付き合いを始め、高校を卒業すると同時に結婚。大将の修業について東京へ行き、厳しい修業時代を支えました。6年ほど経験を積んだ頃、お声掛けをいただき小布施へ。その後、ご縁をいただき「ぱてぃお大門」の開業に合わせて、念願だった自分たちの店「日本料理 旬花」をオープンすることができました。
地元の皆さまに愛されるお店を
家族で力を合わせて。
「日本料理 旬花」のある建物は、「養気館」という3階建ての楼閣です。明治中期に建てられた楼閣は、お客様をもてなす迎賓館として使われていたとか。そんな歴史ある建物でお店を営めることを本当に嬉しく思っています。地元のお客様に愛される店として、大切なお食事会やお祝い事、ご法事などにご利用いただけるお店になりたいと、今日まで夫婦、そして娘たちとともにお客様をお迎えしてきました。皆さまから「今までで一番美味しかった」「とても落ち着いた良いお食事会ができました」などのお声をいただくと、本当に嬉しくて。大将はあまり表に出ない人ですが、「自分の料理は先達が築き上げてきたもの。お客様自身が、良い時間、良い会話で料理を楽しんでくださるからこそ、美味しいと言っていただける」と、常にお客様に感謝しています。
また、コロナ禍の際に「少しでも旬花の味を楽しんでほしい、旬花の味を忘れないでほしい」と考案した「旬花のおはぎ」は、メディアに取り上げられたこともあり、若い方が旬花を知るきっかけにもなっています。木島平産のお米ともち米を旬花の出汁で炊いたおはぎは、ぜひ一度、食べていただきたいですね。
「旬彩菓たむら」さんとは、旬花が開催している「落語会」でご縁をいただきました。もともとたむらさんのお菓子が大好きでお店に通っていたので、お知り合いになれて本当に嬉しかったですね。地元に愛され、ご家族で経営に携わり次代へと引き継がれているたむらさんは、旬花にとって目指すべき存在です。「蕎麦朧」は戸隠産のそば粉を使用した地産地消のお菓子で、素晴らしい逸品だと思います。私たちも、信州の食材、旬の食材に心を込めて、これからも地元の皆さまに愛していただける「旬花」を守っていきたいと思います。