イラストレーターとしての
スタートは長野。

 長野市生まれの長野市育ち。姉が一人いて、よく一緒に遊んでいました。今でも覚えているのは、冬に家の近くの公園で、近所の子たちが竹スキーをしていたこと。今よりも雪が多かった頃の、信州の原風景です。
 高校は長野清泉女学院高等学校へ。編集者になりたくて、武蔵野美術大学のデザイン学科へ進学しました。イラストやデッサンはすべて独学です。入学したら周りには面白い人がいっぱいいて、高校との振り幅がすごかったですね。友人と立川にある米軍ハウスに一緒に住んだりと、毎日が刺激的でした。海へのあこがれからヨットにも挑戦。今もサップやボディーボードなど、海を楽しんでいます。
 卒業後は長野に戻り、カシヨ株式会社の企画開発部へデザイナーとして入社しました。当時は「ながの情報」が発刊して4年ほど経った頃でしょうか。別棟にながの情報の制作室があって、それがすごく楽しそうで。参加したいとお願いしてイラストを描いたのが、私のイラストレーターとしての最初の一歩です。しばらくは自分の仕事と並行してイラストを描いていたのですが、結局そちらが楽しくて1年で会社員は辞め、フリーのイラストレーターになることを決めました。
 その後、結婚を機に東京へ。せっかく都会に来たからと、自分のイラストを持って出版社を巡り、売り込みを始めました。思い出深いのは、「ムー」というミステリーマガジンにツチノコのイラストを描いたこと。びっくりしましたが、完成した雑誌を見た時は嬉しかったです。

変化を受け入れ
日々の暮らしを楽しむ。

 夫の母親と同居し、2人の子どもを育てながら、イラストレーターの仕事を続けました。育児雑誌の「プチタンファン」では、初めてイラストにエッセイをつけるスタイルのお仕事をいただいて。その頃から日々のあれこれを、自分から発信するようになりました。ブログはもう30年近くになりますね。SNSの進化に合わせて、フェイスブックやインスタグラムも使うようになりました。今はそれぞれの特性に合わせて、発信する情報や表現を変えて楽しんでいます。
 夫を亡くした後、義母と息子と犬と一緒に、小田原へ移り住みました。友人が見つけてくれた古民家は、自分の暮らしにちょうどいいサイズで。偶然にも義母の母の実家が小田原で、懐かしいとずいぶん喜んでくれましたね。義母の最期もしっかりと看取ることができてよかったと思います。子どもたちもそれぞれに家庭を持ち、今は一人暮らしになりました。寂しいと思うこともありますが、遊びに誘ってくれる友人もいて、楽しみもいっぱい。もともとあまり深く考えない性分なので、これからも楽しいこと、興味のあること、面白いことを探しながら暮らしていきたいと思います。
 そんな日々をまとめて、「ワクワクする!67歳からのはじめての一人暮らし」という本を幻冬舎から出版しました。今の私の日々の様子や、思うこと、楽しみなどが、ぎゅっと詰まった一冊です。毎日を笑顔で過ごすための、ほんのちょっとしたきっかけやヒントになったら嬉しく思います。
 この夏、ご縁をいただいて、長野市の中央通り沿いにあるセレクトショップ「cublue(キュブルー)」さんでイラスト展を開催しました。お客様に混じって、学生時代の友人など懐かしい人にも会えて嬉しかったですね。私、よく考えたら長野のことを全く知らないなと思って、改めて故郷である長野に興味を持ち始めました。今度は旅行で、ふらっと長野を訪れたいと思っています。

(2024年11月号掲載)