経験を重ねる中で
見えてきた自分が目指すもの。
長野市生まれの長野市育ち。サッカーが大好きで、中学校では3年間、サッカーに打ち込みました。絵を描くのも得意で、図工や美術の成績はよかったですね。ただ、それを仕事にしようと思ったことはなかったんですが、高校の文化祭でステージバックにスプレーアートで大きな絵を描いたら、それが評価されて。そこからグラフィックデザイナーという仕事に興味を持ち、東京の専門学校に進学したんです。
卒業後は、東京で広告代理店のデザイナーとしてキャリアを重ね、24歳の時に長野に戻ってきました。地元の出版社で1年半ほどエディトリアルをはじめとするデザインの経験を積んだ後、「LIFE DESIGN信州」というデザインコンペに挑戦。審査員特別賞を受賞したことがきっかけで、実行委員をしていた同じ苗字の轟久志さんが主宰するトドロキデザインにお世話になることになりました。それまで広告デザインが中心だった自分の中に、新たにロゴやパッケージなどのデザインが加わることで、デザインの幅が広がり、自分のやりたいこと、目指すべきものが見えてきたように思います。
新たな「壁」に向かって
挑戦し続けていく。
30歳で独立。デザイナーとして仕事を始めた当初から、いつかは独立したいと思っていたので、不安よりも楽しみの方が大きかったですね。20代の頃に追い求めていた「良いデザイン」の定義に、「機能」という視点をプラスすることで、Rのデザインコンセプトである「地立するデザイン」を目指し、日々、試行錯誤しています。
たむらさんとのご縁は、もう6年ほどになりますね。お店のロゴを刷新するお手伝いをさせていただいたのが最初でした。旬彩菓たむらの、「旬」には、四季折々の「旬」はもちろん、人生の「旬」を彩る菓子でありたいという、菓子職人の「思い」が込められています。まちのお菓子屋さんとして、背骨が一本通った考え方に感銘を受け、その「思い」を、デザインで表現させてもらいました。
それから今日まで、パッケージリニューアル等も含めた「旬彩菓たむら」のブランド構築のお手伝いをさせていただいています。「蕎麦朧」の包装紙リニューアルも、そのひとつ。「蕎麦朧」は、やはりホロッとした独特なくちどけと蕎麦の風味が格別だと感じています。既にたむらの人気商品であった「蕎麦朧」のパッケージ変更は、とても緊張する仕事でした。それまでのデザインに敬意を払いながら、固定ファンであるリピーターの方にも、これから「蕎麦朧」を知る方にも受け入れられる、世代を超えたデザインをご提案できたのではないかと思っています。
独立して今年で10年。たむらさんを始め、クライアントから求められるもの、期待値が高まっていることを強く感じるようになりました。プレッシャーも大きいですが、日々、感謝しながら、新たな「壁」に向かって挑戦し続けていきたいと思います。