ながの情報0号(1972年11月14日発行)に掲載された広告。
当時から地獄谷野猿公苑は人気のスポットでした。「点と線」というキャッチコピーに、観光開発に力を入れていた当時の様子が窺えます。
今から50年前の1972(昭和47)年は、長野県、長野市と長野電鉄との間で、線路の地下化が合意・締結に至った非常に重要な年です。長野電鉄は地下化によって車両や設備が近代化され、大きく変貌を遂げました。
長野駅から善光寺下駅までの区間が開通したのは、1981(昭和56)年3月1日のことです。当時は「長野に地下鉄ができた」と大きな話題になったとか。地下を走る電車を楽しむためだけに乗車された方もいたようです。線路跡の地上は長野大通りとして整備され、長野市街地の渋滞も緩和。長野市は大きく発展していくことになりました。
ご存知ない方も多いかと思いますが、実は皆さんが地下鉄と呼んでいる箇所は、正確には「長野隧道」というトンネルなんですよ。地下トンネルに線路と駅がある、全国に数ヶ所しかない珍しい線路なんです。最近では、野菜を販売する駅としてテレビなどでも取り上げられていますが、これからも地域の皆様に愛され、親しまれる長野電鉄でありたいと思っています。
近年は、単なる交通の足というだけではなく、車窓を眺めながらビールやワインを楽しむ列車なども運行しています。ぜひ一度、列車の旅を楽しんでいただきたいと思います。
「北信濃ワインバレー列車」は、美味しいワインとお弁当を楽しみながら、北信濃の美しい車窓を四季折々に楽しんでいただけます。地域の皆様にも、美しい風景と美味しいワインを堪能していただきたいと思います。