独立したのは23歳の時です。自分を成長させてくれた会社には感謝しかありません。同僚や先輩など、いろいろな方に育ててもらい、そのご縁から仕事をいただくことも多々ありました。周りの意見や考えを素直に取り入れながら、自分なりに答えを出したら迷わずにとことん突き進む。その繰り返しで会社を育ててきたように思います。
会社が成長するとともに地域との関わりも深くなっていきました。青年会議所やロータリークラブなど、初めは知り合いなど一人もいませんでしたが、常に自分から動いて相手の懐に飛び込み、多くの人脈を築くことができました。そのご縁から、加藤前長野市長が長野商工会議所の会頭に就任されたときに、口説き落とされて副会頭に就任。その後、会頭を任されることとなりました。
平成25年11月に会頭に就任してから今日に至るまで、日本、そして長野は激変の只中にあります。平成26年11月の長野県神城断層地震や、令和元年10月の台風19号による災害、そしてコロナ禍と厳しい状況が続き、長野商工会議所にもさまざまな声や相談が相次いでいます。会議所も、行政への働きかけや補助金の活用、研修会開催など、官民一体となって長野経済を活性化すべく、日々努力し続けています。私自身も会頭を任されたからには、覚悟を持って地域のために何ができるかを常に考えています。さまざまな立場の方の意見をきちんと伺いながら、ここぞという時は自分の責任で判断していく。えびす講煙火大会や長野びんずるなどの祭事に関しても、最初から無理だ、止めようではなく、実現できる可能性を見いだし、すべて手を尽くした上で判断してきました。令和元年、2年と中止を余儀なくされたえびす講の花火も、昨年は4カ所分散で開催しました。創意工夫で歴史ある煙火大会を継続させることで、少しでも地域を活性化し、笑顔をお届けできたのではないかと思います。
そして4月3日からは、善光寺御開帳が開催されます。今回は分散参拝のため期間を88日間とし、感染対策もできるかぎりの策を講じました。一人ひとりが感染対策を心掛けながら、善光寺を訪れる方々を笑顔でお迎えし、地域全体が活性化されることを期待しています。